和尚が申す

日別アーカイブ: 2011年3月17日

言葉の責任

言葉の責任

今度の東北関東大震災は未だかつて日本人が経験したことのない未曾有の大自然災害となった。これを記している現在も東京電力第一発電所の事態は急速に悪化しており、今後どのような大事故に陥るかも不透明な状況と思われます。

この件にはまた触れるとして、今日は過去の閣僚の発言の中から今回の大災害を通して見えてくるものを書き記して行きたいと考えている。

今回の大災害にはどこからどのように手をつけたら良いのかわからない呆然とする事態の中で、各国の救助隊や支援物資が暖かい手のように差し伸べられている。まだ自国も傷ついているニュージーランドの救助隊も駆けつけてくれた。アメリカなどは原子力空母まで出動させていろんな目的のために救助の手を差し伸べてくれている。もちろん我が国の自衛隊も10万人から倍の20万人まで数を増やしていろんな活動に奔走している。

この事実を見て全国民は数か月前の官房長官の発言を覚えているだろうか。自衛隊の事を称して『暴力装置』と発言したのだ。もちろんそれは失言として謝罪して取り消されたのだが、平素思っているから思わず知れず口をついて出たセリフなのだと思う。つまりは仙石の頭の中にはそれを常識として認定しているのだ。でなければそのセリフが国会の中で失言として出るはずがない。バカヤローとか一時の興奮で出た言葉ではないのだ。彼の心の中には自衛隊はそのように認識理解していたのでなければあれだけスムースにでることはないだろう。
菅と仙石と言えば市川房江の一番弟子で旧社会党の中でも極左の思想を持つ輩である。鉢巻きやデモ行進でアジテーターが一番似合う。労働組合が政府を支えるこの矛盾の原点を作りだした張本人なのだ。

被災地で吹雪の中を捜索する自衛隊員の姿を見てもまだ彼は暴力装置と呼ぶのだろうか。今回の自然災害は突発的なことで彼は我が知りえぬことだと言うかも知れないが数年前には阪神大震災が日本を襲っているのだ。あの時も全国の警察官・自衛隊の出動が無かったら寒空にもっと犠牲者は出ていただろうと思われる。軍隊は戦争をすることも任務の一つだが自国の国民を守ると言う観点から災害復旧もその大きな任務の一つなのだ。
彼らが任務で使用する簡易の風呂があった。任務先ででの風呂なのだろう。組み立て式で建屋のようにしっかりとした作りだったことを思い出す。
日夜訓練をして最高の体力と最高の装備を駆使して、国民の危機に立ち向かうのが義務なのだ。それを仙石は暴力装置とのたまわれた。今どうしているのかわからないがこの言葉をどうとらえているのだろうか。一度聞いてみたいものである。

物資はあるのだが運ぶ手段がない。テレビ局のクルーが入っている避難所に自衛隊の救助が来ない。
テレビ局のカメラが入れると言う事は、誰でも車さえあれば行けると言う事なのだから命令さえあれば即自衛隊が出動することは可能だろう。
指示命令系統が全く統一されていないこの事態をどう考えるか。
首都東京があえいでいる。今こそ能力のある政治家が強烈なリーダーシップを以ってこの国難に臨むべきではないだろうか。